『楽園 〜Le Paradis〜』 エピローグ




 半年後。
 私はある出版社のロビーで偶然彼と出会った。都内にある中堅どころの出版社で、たまたま打ち合わせのため足を運んだときのことだった。
 別れた直後に連絡先は伝えたものの、その後彼から連絡が来ることはなく、また私からすることもなかった。何度か彼のことを思い出すことはあったが電話を取り上げ、ダイヤルするまでには至らなかった。そうしているうちに半年が流れての、思いがけない再会だった。

 出版社の最上階にある喫茶室で三十分ほど話をした。彼は今、その会社で文芸誌の編集をやっていると言っていた。シュプレに比べれば全然数も出てないけど、と照れたようにうつむきながら喋り、でもその直後には「けっこう面白い仕事だよ」と屈託のない笑みを浮かべながら言った。
 彼のそんな笑顔を最後に見たのはいつだろう、と私は話をしながら考えた。いや、結婚していたときも今も変わっていないのかもしれない。私たちの関係が変わり、彼や私を取り巻く環境が変わったためそう感じられるのかもしれない。いずれにせよ、私はひとときのように彼の表情や言葉に不信を抱くことはなく、安心した気持ちで話すことが出来た。そしてそれは私たちが結婚する前の、付き合い始めたころの感覚にとても近かった。
 私たちはともに近況を伝え、仕事についての話をし、最近の本や映画ついての話をした。あっという間の三十分だった。彼に、そろそろ戻らなくちゃ、と言われ私は話を切り上げた。彼は玄関前まで私に付き添い、タクシーに乗るまで見送ってくれた。
 
 タクシーが駅に着き、私は帰りの電車に乗った。そしてひとつだけ、大切なことを彼と話し忘れていたのを思い出した。だがまぁいい。とりあえずはこの本を読み終えるまで、その話題はとっておくことにしよう。読み終えた後にゆっくりと、酒でも飲みながら、昔のように話をしよう。
 そんなことを考えながら、私は鞄から一冊の本を取り出した。そして一二〇〇枚を超える大作として発売されたばかりの、『楽園』の続きを読み始めた。

(03/08/01:掲載)


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