西空の稜線、犬の散歩道


 私の生まれた町は山に囲まれ、西の空には1500メートル級の山々が連なっています。山並みは季節や天候により色を変え、その表情は様々に移ろっていきます。特に夕焼けの綺麗な日はオレンジ色の西日に山の稜線がくっきりと映し出され、私の好きな風景のひとつとなっています。

 中学時代、我が家に犬がやってきました。スピッツと秋田犬の血が混じり、真っ白で顔立ちの整った犬です。貰い手だった姉はその犬に「ケン」という名前をつけました。
 中学から高校、そして浪人時代にかけて私はよく彼の散歩をしました。母や姉が連れて行くこともありましたが、故郷に住んでいた間の多くは私が彼を散歩に連れて行っていたと記憶しています。
 実家の裏には大きな川が東西に流れ、その堤防を往復するのがおきまりの散歩コースでした。夕方、日の暮れるころ散歩をすると開けた河川敷の向こうに西の山並みが見えました。雲の多い日以外は西日が稜線を描き、私はその景色を見ながら散歩の復路を歩きました。
 彼は、ケンはお世辞にも頭が良いとは言えず、気性の荒い犬でした。出来るのは「お手」と「待て」くらい。散歩の途中に他の犬と会おうものならロープを強く引っ張って喧嘩をけしかけます。一度、家を抜け出した彼が人の足を噛んでひと騒ぎを起こしたこともありました。本当に聞き分けのない、おバカな犬です。もちろん犬のしつけは飼い主の責任で、私も含め家族はいろいろと工夫を凝らしたのですが気短な性分はどうにも変えることが出来ず、結局きかん坊のまま老犬となり4年ほど前に他界しました。

 ただ、年下の兄弟がいない私にとって彼の存在は大きく、特には大学受験時代のころの記憶が私の中に色濃く残っています。

 夜型だった私は家族が寝静まったころ勉強を始め、テキストに目を通しては問題を解くという作業を繰り返していました。
 ですが私は集中力が持続しないほうなので(勉強に関しては特に)二三時間のうちに何度も休憩をとり、庭へタバコを吸いに出て行きました。私が庭の椅子に腰掛けタバコに火をつけると、眠っていたケンはごそごそと小屋から出てきて私の傍らにちょこんと座ります。私は特に何をするでもなくタバコをふかすだけでしたが、彼は私がタバコを吸い夜空を眺める間、じっと隣に座っていました。そのときの彼は散歩のときのようにはしゃいだりせず、私の気持ちと同調するようにおとなしく、ただ座っているだけでした。
 ほとんどの人が眠っている時間、私は月と星が光る空を見上げ、タバコの煙をくゆらせ、ときには返す言葉を持たないと知りながら彼に話しかけ、ひとりの夜を、もとい、ひとりと一匹の夜を過ごしました。

 彼がいなくなってから私は帰省するたびに寂しさを感じます。ややもすれば弟のようだった彼の不在は、私に少なからぬ喪失感を与えます。

 いま私は故あって帰省中です。今日の西空は夕焼けに染まることはなくどんよりと灰色に曇っていましたが、西の空に描かれた稜線は彼のことを強く思い出させてくれます。

 そんな故郷の風景と、愛犬のお話でした。

(03/10/20:初稿、03/12/21:加筆)


[ next ]    [ index ]