「いくつかの断片と朧気な印象だけの記憶」


  その出来事は、いや今となってはそれが本当にあったのかどうかすら定かではないのだが、それに関する記憶はまるで"しゃっくり"のようになんの前触れもなく突然やってきてしばらくの間私を悩ませる。それは出来事の断片、たとえばそのとき彼が着ていたシャツの柄だとか、その日私がお気に入りの傘を無くしてしまったとか、そういった核心とは関係のない端々の記憶と、あとは全体を包むとても朧気な印象だけなのだが、それらは十分に私の胸を締め付けてひりひりとした痛みに近い感覚をもたらす。
  そもそも私は物覚えがいい方ではない。大切なことに限って(大切だから、と彼はよく口にしていたが)よく忘れてしまう。好きな映画や小説はいくつかあるが、それらでさえも出演者や監督、作者、登場人物、ときには物語のクライマックスさえ忘れてしまう。私の中に残っているのはやはり朧気な印象と断片ばかりだ。ほとんどがそれだと言ってもいいくらい。だから私は「好きな映画は?」と聞かれた直後には嬉々としてそのタイトルを答えるのだが「どんな話?」とか「誰が出ているの?」と聞かれると答えに窮することがよくある。
  話をその出来事に戻したいが、いま思い出せる材料だけで私達の間に何があったのか、それを伝えるのはとても難しい。私の中では「出来事の記憶」ではなくむしろ「記憶の記憶」となってしまっている。だからそのとき何があったか、どうして私がそれを思い出しときおり泣きたいくらい気持ちが沈んでしまうのかうまく説明することが出来ない。
  こんな記憶(思い出とは言わない、だってそんなにキレイなモノではないから)はどこかへ行ってしまえ、と思うこともしばしばだが私はその断片と印象だけの記憶をきっと心のどこかで大切にしている。そうでなければ何もかも忘れているはずだ。
  憶えているのは彼のシャツや私の傘のこと、その店で頼んだサラダに生ハムとアボカドが入っていたこと、店を出たときには雨が止んで西の空から陽の光が射していたこと。彼が涙を流したこと。私も少し泣いていたこと。そしてそれがどうしてもどうしても悲しい出来事だったという朧気な記憶だけだ。

( 2004年11月8日「Sigh on the Web」初出 )


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