voyage ( from the script "vocalise")
その旅はお互いを確かめ合うためのものだった。
家財道具を処分し家を売り払い、仕事や友人、すべての繋がりを断ち切って私たちは旅へ出た。目的地は決めず電車を乗り継ぎ、船に乗って見知らぬ土地を巡り歩く。朝になれば宿を出て当て処もなく歩き、別な町へ移りその町で宿を探す。私たち二人が最後に選んだのはそんな旅だった。
私たちはとても長い時間、お互いを傷付け合ってきた。相手を裏切ることが自分の痛みになることを知りながら、嘘を吐き、騙しあった。自分を傷付ける真似をして相手を威嚇することもあった。けれど痛みが和らいだころには結局相手のもとへ帰り、相手もそれを許した。せめて傷跡が残ればよかったが、それはいつも痛みとともに私たちの心から消えてしまった。そうやって私たちは何度も同じ過ちを繰り返した。
次第に私たちは痛みに鈍くなっていった。傷付けることと許すことの繰り返しはお互いを疲弊させ、感覚を麻痺させていった。傍にいる相手が誰なのか、どうして私たちがともに暮らしているのかも分からなくなり、私は彼を忘れ、彼は私を忘れていった。相手の存在はそこに居る当たり前を通り越し、希薄で虚ろなものになっていった。ようやく立ち止まって振り返ることが出来たときには、私たちを繋いでいたもののほとんどが消え失せていた。
二人で一緒にいる理由はもう残っていなかった。けれど同じように、二人が別れる理由も存在しなかった。そうして私たちが選んだのが、お互いを確かめるための旅だった。
私たちは旅の途中、ほとんど言葉を交わすことがなかった。陽射しが照りつけ砂埃が舞う道や、滝のように振る雨の中をただ黙々と歩き続けた。隣を進む相手の歩みが遅くなれば休みを取って短いいたわりの言葉を投げ、相手もまた短い言葉でそれに答える。
「少し休もうか」「そうだね」
相手が寒い様子を見せれば荷物から上着を取り出しひとことだけ添えて相手に手渡す。
「寒いからこれを着たほうがいい」
途中一度だけ旅の理由について話しあうことがあったが、それも長くはなかった。失くしたものを少しでも取り戻すこと、傷付けてきた自分と相手を許すためだということは言葉にしなくても分かっていた。
旅が進むにつれ、私たちは少しずつ、二人の間にあるものを認めるようになった。見知らぬ町でともに寝泊まりし、食事をし、歩き続けることの繰り返しは以前とは違った気持ちを抱かせるようになった。愛情とは違うまた別の何か。それは私たちが一緒に暮らし始めた頃の気持ちに、少しだけ似ていた。
旅を初めて数ヶ月が経ったころ、それは突然終わりを迎えた。旅の動機や目的とは関係なく、彼が病にかかり、歩き続けることが出来なくなってしまったからだ。長い道のりの果て、まだこの先にも道はあるのだが、私たちはある町で暮らすことに決めた。
町の住人ははじめ余所からきた私たちを怪訝な目で見ていたが、彼が病気であることが分かると優しく接してくれるようになった。畑で取れた野菜や果物、ときには洋服や使わない家具などを譲ってくれた。
私は町にある郵便局で仕事を始めた。朝になれば彼の食事を作って出かけ、定時になれば仕事場をあとにし、市場で買い物をして家に帰り夕食の準備をする。はじめのうちは彼も外に出たり、ともに街を歩いたりすることが出来たが、何ヶ月か経った頃には彼はもう家からも、自分の部屋からも出ることが出来なくなっていた。
休日になれば私は彼のベッドの傍で過すようになった。図書館から借りてきた本を読み、時折目覚める彼と言葉を交わした。話す言葉はあいかわらず短く、たどたどしいが、そのひとことひとことは私たちがようやく取り戻すことが出来た、ささやかな尊敬と信頼の証だった。
それからまた数月がたった頃、彼は眠るように息を引き取った。
あのひとが死んで、もう何年か経つ。私はまだこの町で暮らし、この町で生きている。朝になれば誰も居ない家を出て、仕事場に行き、すっかり溶け込んだ町の人たちと言葉を交わす。
町役場から駆けてきた役人が「これを明日までに届けたいんだが、どうだろう」と息を切らしながら尋ねる。「まだ大丈夫ですよ。これから列車に乗せる郵便物をまとめるところです」と私は笑顔で答える。
日が傾けば仕事場を後にし、夕方の市を訪れ、軒を連ねる店の主達と会話をする。「いいワインが入ったんだ、それとチーズも。まとめて買ってくれれば安くしとくよ」「じゃあ家まで配達してくださる。そこにあるオリーブの瓶も一緒に」
私はひとりになってようやく町の暮らしを楽しめるようになった。それは久々に訪れた、私とたくさんの人々の関わりが作っていく新しい時間だった。
市を抜けて町外れにある大きな酒場を通りかかると、早くから酒を飲み始めた男達の笑い声が聞こえてくる。それに混じって調律の狂ったピアノの伴奏で歌う、若い女の優しい声が聞こえる。
家へ着く頃には陽はもう沈み、誰も居ない家の扉を開け、あかりを灯す。私はいつも、がらんとした部屋へ向かい小さな声で「ただいま」と囁く。毎日その瞬間が訪れるたびに私は、わたしたちが辿ってきた旅路と、あのひとのことを思い出す。
(2005年11月 リュカ.第10回公演 「vocalise」 より)
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